大ゴッホ展「夜のカフェテラス」に行ってきました。

アート

神戸で開催している「大ゴッホ展」に行ってきました。
「大ゴッホ展」は、阪神淡路大震災から30年の取り組みのひとつとして、神戸市立博物館にて開催されています。

告知を見てから楽しみにしていた展覧会。
会場は平日のお昼すぎでも多くの人で賑わっていて、あらためてゴッホの人気を感じました。

ゴッホの絵はどこか寂しさや心の痛みを感じさせ、
久しぶりに“心を動かされる”時間となりました。

印象に残ったゴッホの絵たち

絵はたくさん展示されていましたが、その中でも特に印象に残った作品について書き留めます。
全体的に暗さを感じつつも、その奥に“消えない光”のようなものがありました。

■ 初期の作品たち — 静けさと孤独

《ニューネンの改革派協会》や《古い塔》には、孤高で清らかな空気が漂っていました。
暗さはなく、ただひっそりと「自分の信じる道」を歩く人のような強さ。
けれどその前後の作品たちは、少ししんどく感じるほどに、人の痛みや貧しさ、孤独が滲み出ていました。

■ 親子の絵に宿る「愛と希望」

《ははとこども》には、やさしい愛と、そこにすがるような希望を感じました。
ゴッホ自身が、愛というものを信じたくて描いたような一枚。
それまでの作品たちは、暗く重たい空気を感じるものが多かったのですが、
この母と子を描いた絵には、闇の中にもたしかにある“愛の淡い光”のようなものが感じられました。

■ 《機械と織工》に見た生命力

働く人の姿を描いたこの絵からは、ぐっと力強い生命のエネルギーが伝わってきました。
現実の中にある美しさ、誇り、職人魂。
筆の一振り一振りが「生きる」という行為そのもののようでした。

■ 自然と静物に見た「命の循環」

《秋の風景》には、三本の木のうち一本が枯れかけていて、それさえも美しく感じられました。
光と影が溶け合う夕暮れのように、“終わり”の中に“始まり”を感じさせる絵。
逆に言えば始まりがあれば終わりがあると言っているような絵でした。

1番印象に残ったのは《野の花と薔薇のある静物》。
華やかさの中に、儚さと沈黙がありました。
そしてどこか薄暗い感じ。
咲いて、枯れて、それでも美しい。
花の命を抱きしめるように描かれた絵だと思います。

■夜のカフェテラス

《夜のカフェテラス》は、言葉にするのが難しいほど美しい絵でした。
画面いっぱいに広がる深い夜の青と、カフェからこぼれる金色の光。
賑わいと静けさが同時に存在していて、どこか夢の中のような風景です。

この作品が描かれたのは1888年、南仏アルルでのこと。
ゴッホはこの頃、人生の中でも最も情熱的に“光”を追いかけていました。
彼は手紙の中でこう書いています。
「夜にも光があることを描きたい。夜をただ黒く塗るのではなく、
夜の中にも色彩があり、そこにも生きる希望があると伝えたい。」

実際、絵の中の空は群青に輝き、黄色の灯りが温かく街を照らしています。
それは、孤独や苦しみを抱えながらも、“それでも光を信じたい”という彼の祈りのよう。
観ていると、心の奥がじんわり温まっていくようでした。

終わりに

ゴッホの絵は、人の心のように複雑で美しさだけじゃなく、人の醜さや暗さまでも表現していて、見る人の心に入り込んでいるのかなと感じました。

帰り道は、メリケンパークまで足を伸ばして、海を眺めながら風にあたりました。

沈みゆく光と、海面に反射する揺らめきを見ていたら、

ゴッホの描いた“夜の光”と同じように、

「闇の中にも、ちゃんと希望はある」――そんな気持ちになりました。

※写真は撮影可のもののみ投稿してます。

2026年2月26日まで開催しているので興味がありましたら、皆さんもぜひ訪れてみてください。

下記、公式サイトになります。

神戸市立美術館「大ゴッホ展」公式サイト

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